「数字は劣化した現実」林裕

「境界線での重心移動」から発展して、マジョリティ・マイノリティの話題になった際、コピーライターの林裕さんが「数字は劣化した現実だ」と言いました。刺激を頂いたので、林さんのお話の大意を書きます。

数字には現れない現象がたくさんある。平均値は全員を見わたした数字と考えがちだが、例えば平均年収を考えると、よく言うようにたった一人の外れ値が全体の結果に大きく影響することもある。
大きな会社で大人数でものづくりをするとき、「正しいけれどつまらない」ものができてしまいがちだ。これは、人数が増えると、ロジックしか通らないことによる。ロジックから外れた提案をすると、責任問題が発生してしまう。ロジックのみでものづくりをすると、感性的な魅力が失われてしまう。
今の時代は、第三次産業が第二次産業化している。サービスがあまりに効率を重視しすぎて、無駄が欠落していってしまう。するともはやサービス産業はサービスを伴わなくなる。産業は単なる経済のパワーゲームに陥る。
いかに無駄を許容するか。フォルクスワーゲンが New Beetle を発表したとき「エンジンの技術革新」に加えて、「ハンドル脇の一輪挿し」がついてきた。花を一輪生ける人は多くないかもしれないが、それは確かにクルマの価値観を語る一側面になる。一見無駄とも思える価値の蓄積が、ブランドを形作る。(そして、こうした無駄を世に問うときは、当然屋台骨、つまりエンジンなどの性能がしっかりしていなければならない)

この林さんの言葉にはたくさんの発見をいただきました。特に「数字は劣化した現実だ」という言い切り。数年前に私があるインタビューに答えたとき、従来型の組織的運営では、尖った企画案もしばしば「最大公約数」矮小化されてしまいがちだ、という話をしましたが、前半の議論はこれに通じるものがあります。

①部署間の意思疎通は「ヨコの壁」が障害となる。過度に民主主義的
②階層間の意思疎通は「タテの壁」が障害となる。過度に権威主義的

従来型のコンセプトの扱い — つまり変更不可能なマニフェストか、後付けのPRストーリーに陥らないプロジェクト運営 —が求められている。そこで生まれたのがストーリー・ウィーヴィングでした。つまりプロトタイプとストーリーが議論の共通言語となり、所属や目的意識の異なるメンバーをまとめあげる、という考え方。

しかしそれよりも「一輪挿しをつけたクルマ」という美意識。定量的な測定がやや難しかったマスメディアの時代から、あらゆるものが数値化できるウェブマーケティング中心の時代に移り変わる中、ロジックがないと合意を得られないように考えがちですが、このような美意識を組織の中でも保っていけるか。